株損益概算(前日比)
積水ハウスは+1.5万。
ベステラは+3.2万。
株式相場
当然の一服だけど、それでも強かった。
雑談
昨年末、新聞の広告欄にこんなのが。
75歳になって、86歳のひとを好きになって、何が悪いの?
「疼くひと」で70代女性の性愛を描いた著者によるリアルな「大人の恋」
ん~、メチャクチャひかれる。
なんでかって、それは、著者の松井久子さんが前回書いたその「疼く人」は、私の一昨年のベスト恋愛小説だから。
というわけで、早速買って、今、夢中になって読んでいる。
ただ、一気に読んじゃうともったいないので、少しずつね。
そいでもって、まだ途中なんだけど、恋愛とは関係ない部分で、考えさせられるところがあって・・。
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5時25分。
目覚ましをかけずとも、早朝のきっかり同じ時間に目が覚める。
今日もまた、何も予定のない一日の起床時間を確認する。
そして、起き抜けの意識を足のほうにもっていく。
寝ている間に、ふくらはぎの筋肉がまた固まってしまったようだ。
これも歳を重ねるごとに顕著になった「老いのしるし」の一つである。
86歳の判で押したような一日が、今朝もこうして規則正しく始まった。
天井を眺め、布団のなかの足首を左右に倒したり、回したりしながら、ぼんやりと考える。
「さて、今日は何をするべきか」
急いで起きてしなくてはならないことが、思いつかない、見つからない。
このまま寝床に横になって、新聞を見るなり、本を読むなり、日がな一日ごろごろしていもいいのだが、彼にはそれができないのだった。
一日を規律正しく暮らすこと。
それが長年自らに課してきた生活規範であり、「規律」だった。
その「規律」を崩してしまえば、80代の半ばを迎えてなお、辛うじて送れているつつがない日常ががらがらと音を立てて崩れ、まっしぐらに「死」に向かって落ちて行くような気がする。
頭の中にはそんな強迫観念が居座っていて、つかまりそうになる「老いの憂鬱」と「死の恐怖」から逃れる術が、唯一、毎日の生活を規律正しく送ることなのだった。
健康に恵まれた86歳とは、そんな年齢だ。
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その「規律」を崩してしまえば、80代の半ばを迎えてなお、辛うじて送れているつつがない日常ががらがらと音を立てて崩れ、まっしぐらに「死」に向かって落ちて行くような気がする。
んー、すごい分かる気がする。
自分にはたしてそんな規則正しい生活ができるのだろうか。
というか、もし、幸運にも86歳まで生きれたとして、そのとき、毎日主に何をしてるかって話よな。
「さて、今日は何をするべきか」
急いで起きてしなくてはならないことが、思いつかない、見つからない。
もし、こうなっちゃうようであれば、長生きすること自体、はたして幸せなのかって話になっちゃうわけで。
その歳になっても、毎日やることが山ほどあって、かつ充実してたら、最高の人生なんだろうけども。
んー、考えさせられるなー。