40代サラリーマンの優美なる株投資ブログ

40代サラリーマンがブログを始めたら何が見えてくるか

 
 

株で億稼げても、認めてくれるのがネットの人だけだったらきっと寂しい

 

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株損益概算(前日比)

トヨクモは大きく変わらず。

 

かっこは-3万。

 

イオンモールは+4.4万。

 

スギホールディングスは-7.6万。

 

アークスは-1.4万。

 

株式相場

新興も良くなってきたので、来週も期待できそう。

  

雑談

株をやり始めた頃、どんな将来を夢見ていただろうか?

 

私の場合は。

 

株で億稼いで、いいマンション住んで、いい車乗って、いいスーツ着て、いい時計して、いい女連れて

 

って、恥ずかしい話だが、こんないかにもいかにもなやつで、これが最上級の幸せだと思っていた。

 

極端に言っちゃえば。

 

幸せは「お金」と「女」で成り立ってるんでしょみたいな。

 

まあ、今でも根底はあんまり変わらないんだけども・・・。

 

ただ、昔と違うのは、その2つと同じくらい大事なんじゃないかってのが出てきて。

 

それは。 

 

「認められること」

 

俗にいう承認欲求ってやつ。

 

分かりやすいところでは、SNSに何か書き込んで「いいね」みたいな共感を得られると嬉しいってものなんだけど。

 

ただ。

 

SNSみたいなネットの人から認められても、幸せにはなれない。

 

なぜなら。

 

SNSだと、誹謗中傷的なものが間違いなくついてくるから。

 

認められたって喜びがあっても、そんな批判的なのをくらったら一発でドカンと落ち込んじゃうから。

 

じゃー、どういう「認められる」が幸せなのかっていうと。

 

「近くにいる人から認められること」

 

そう、近い人からでいい、というよりも、近い人からだけでいい。

 

例えば、家族。

 

・あなたもたまには頼りになるのね

 

・パパ、すっげー

 

例えば、仕事の上司や同僚。

 

・よくあの案件まとめてきたな

 

・仕事早すぎですね  

 

例えば、昔からの友人。

 

・本当相変わらずおまえはおもしろいよな

 

・やっぱオレを分かってくれるのはおまえだけ

 

例えば、近所のおばちゃん。

 

・おはよう、いつも朝から出勤大変ね

 

・お帰りなさい、今日もお疲れさま

 

普通に父親だから、普通にサラリーマンしてるから、普通に友人がいるから、普通に暮らしてるからこそ認められて、実はこんなのが幸せに繋がってるわけ。

 

だって、もしぜ~んぶ無かったときのことを考えてみたら・・。

 

家族がいなかったとしたら。

 

「咳をしても一人」ってやつ。

  

誰からも評価されない、評価どころか誰とも一切話さない仕事をしていたとしたら。

 

ただ、お金のためだけに一人淡々と業務をこなすだけの仕事とか。 

 

「本当の友人」と呼べるような友人が一人もいなかったとしたら。

 

こいつのためだったら大概のことはやれる、もしくはやってもらえるっていう友人がいないなんて。

 

寂しすぎて、全然幸せじゃないのよ。

 

だから、もっと言っちゃえば。

 

あの頃夢見てた、株で億稼いで、いいマンション住んで、いい車乗って、いいスーツ着て、いい時計して、いい女連れてっていう、優雅で悠々自適な生活が仮にできたとしても。

 

奥さんも子供も同僚も本当の友人も、近所のおばちゃんすらいなくて、認めてくれるのがネットで繋がってる人だけだったら、きっと寂しいだろうなって。

 

逆に言えば。

 

今、株で思うように稼げていなくても、誰かが近くにいるのであれば、けっこう幸せってこと。