
株損益概算(前日比)
マクドナルドは大きく変わらず。
オリエンタルランドも大きく変わらず。
アルペンは+1.4万。
グッドコムアセットも大きく変わらず。
雑談
こんな投稿を見かけて。
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退屈とは、何もしたくない感情に見えて、何かに苦しみたい欲望の裏返しでもあります。平和で、何も起きてなくて、困ってもいないのになぜか物足りない。そういうときは、自分を揺さぶってくれるものを探しています。
本当は穏やかな時間を過ごしたくても、それだけでは自分が生きている感じがしない。
退屈が怖いのは暇だからではなく、苦しみまで娯楽にしようとするところです。
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あー、なるほど。
自分を揺さぶってくれるものを探してるってわけね。
うん、私が思うのは、「刺激」って人にはかなり大事なものなんじゃないかなと。
ただ、それは自分にとって最高に楽しいもので、かつ、人に迷惑かけないものにすることが超絶重要な気がする。
例えば、私で言えば、パチンコ、食、エロみたいな(笑)
あー、あとは絶対にバレない不倫とかね・・・。
これ、なんか他に気づきありそうなので調べてみたら、なかなかな回答が。
↓
私たちは普段、平穏や幸福を求めて生きているはずなのに、いざそれが完全に手に入り、何の波風も立たない状態が続くと、今度はその無風状態に耐えられなくなる。
これは人間が持つ最大の矛盾の一つかもしれません。
1. 脳は「強い刺激」を求めてしまう
生物として安全で困っていない状態は、生存戦略としては「勝ち」のはずです。しかし、脳は環境に適応しすぎる性質があるため、変化のない平穏を「刺激の飢餓状態」と捉えてしまうことがあります。その結果、ポジティブな刺激が見つからないと、手っ取り早く自分を揺さぶってくれる「ネガティブな刺激(苦しみ、不安、怒り、トラブル)」すらも、生存を実感するためのエネルギー(娯楽)として消費しようとする。これこそが「退屈の怖さ」の本質だと感じます。
2. 「生きている実感」と「負荷」のバランス
穏やかな時間だけでは「生きている感じがしない」というのは、人間には一定の負荷(ストレスや課題)が必要だからでしょうね。スポーツで息が切れて苦しいときにどこか快感を覚えたり、あえて困難なゲームに挑んだり、あるいは他人の揉め事やドラマチックな悲劇に心が惹かれてしまうのも、「痛みを伴うことで、自分が今ここに存在している」と強く実感できるからだと思います。
3. 現代社会における「退屈の娯楽化」
今の時代、スマホを開けばいつでも「誰かの怒り」や「世の中の不安」といった、脳を揺さぶる手軽な苦しみのタネ(エンタメ)が転がっています。暇を潰すためにわざわざ不愉快な情報を見に行って、勝手にハラハラしたり憤ったりするのは、まさに「苦しみすらも娯楽にしている」典型的な姿かもしれません。
何もない平和な日常は最高の贅沢であるはずなのに、私たちの心はそれだけで満足できるようには作られていない。
だからこそ、その退屈の正体が「自分を揺さぶりたい欲求」だと自覚していないと、無意識のうちに自分で自分の生活に余計なトラブルや苦しみ(波風)を起こしてしまいかねない、という警告のようにも聞こえます。
退屈を「暇」という時間的な問題ではなく、「心が刺激(あるいは苦み)に飢えている状態」と捉える視点は、人生の舵取りを狂わせないためにも、非常に大切な知恵ではないでしょうか。
