アラフィフサラリーマンの優美なる株投資ブログ

株(優待)×パチンコ(エヴァ)×B級グルメ(ラーメン・カレー)

 
 

マインクラフトを約2,500億円で売却した男は言った「これほど孤独を感じたことはない」 巨大建築を作るよりも友達と洞窟で死んで笑ってる時間の方が記憶に残る

 

 

株損益概算(前日比)

マクドナルドは+1.5万。

 

オリエンタルランドは大きく変わらず。

 

アルペンも大きく変わらず。

 

グッドコムアセットは+2.1万。

  

雑談 

こんな投稿を見かけて。

 

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マインクラフトを約2,500億円で売却した男。

 

すべてを手に入れた彼が、豪邸で放った本音が悲しすぎます。

 

■富の頂点

2014年、MicrosoftがNotch氏の会社を買収。

一晩で「約2,500億円」の個人資産を手にした彼。

それは全ゲーマーが夢見る、究極の「成功」でした。

 

■数字で見る贅沢

・邸宅の購入額:約108億円(7,000万ドル)

・内装:壁一面の菓子、高級車展示、絶景プール

ビヨンセ夫妻に競り勝って手に入れたビバリーヒルズの城。

しかし、その輝きは長くは続きませんでした。

 

■100%の空虚

購入から1年後、彼はSNSで衝撃の告白をします。

「これほど孤独を感じたことはない」

「友人は家庭を持ち、普通の生活へ消えていった」

「僕は一人、この巨大な箱で誰かの連絡を待っている」

 

■結論

お金で「快適な生活」は買えても、「心の安らぎ」は買えなかった。

 

成功の果てに待っていたのは、静寂すぎる地獄でした。

「すべてを持つ男」が一番欲しかったのは、普通の日々。

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なるほどな、そうなっちゃうわけか。

 

まあ、確かに、私みたいな庶民レベルに話を落として考えると、お金が捨てるほどあったら株もパチンコも今よりは間違いなく楽しめないはずだし、メチャクチャモテまくりだとしたら、恋愛も全然楽しめないだろうからな。

 

これ、なんか他に気づきがありそうなので調べてみたら、かなり良さげな答えが。

 

 

この話、多くの人の心に刺さるんだけど、実は「金では幸せになれない」という単純な教訓だけで読むと、少しズレる気がするんですよね。

 

まず、Markus Persson が手に入れたのは、単なる大金じゃなくて、「人生のゲームクリア」なんです。

 

しかも若くして、世界的に。

 

問題は、人間って「攻略中」は幸福を感じやすいけど、「完全攻略後」に耐性があまりないことなんですよね。

 

ゲームでもそうじゃないですか。

 

* レベル上げしてる時

* 装備集めてる時

* 仲間と攻略法を話してる時

* 少しずつ強くなってる時

 

この過程が一番楽しい。

 

でも、最強データ完成後って急に虚無が来る。

「で、次なにするの?」になる。

 

Notchのケースって、あれの“現実世界版”なんですよね。

 

しかも規模がデカすぎた。

 

さらに残酷なのは、彼は「マイクラを作ってる時間」そのものが、生きる意味の巨大な部分だった可能性が高いこと。

 

Minecraft は、単なる商品じゃなく、世界中の人と繋がる巨大な“遊び場”だった。

 

ところが売却後、

 

* 仲間は会社運営へ

* 友人は家庭へ

* 社会は次の話題へ

 

流れていく。

 

でも本人だけが、「人生のメインクエスト終了後」の画面に取り残された。

 

これ、かなり現代的な話なんですよ。

 

昔は、共同体とか宗教とか地域とか家族とかが、「お前はここにいていい」という土台を半強制的に作っていた。でも現代は、成功すると逆に共同体から浮きやすい。

 

特に超成功者は、

 

「理解されない」

「警戒される」

「利害関係だけ増える」

という状態になりやすい。

 

だから、彼が欲しかったのは金じゃなく、

 

* 気軽に連絡できる友達

* 一緒にバカ話できる相手

* 目的のない日常

* 自分を“機能”ではなく“人”として扱う関係

 

だったんだと思う。

 

すごく皮肉なのは、Minecraft 自体は、「みんなで遊ぶ」「日常を創る」「小さな幸せを積み上げる」ゲームだったこと。

 

巨大建築より、友達と洞窟で死んで笑ってる時間の方が記憶に残る。

 

あれ、人生そのものなんですよね。

 

だからこの話の本質って、

 

「金は無意味」

ではなく、

「人間は“意味”と“関係性”と“未完成感”がないと壊れやすい」

 

なんだと思います。

 

日本語で言うと、「足るを知る」に近いけど、もう少し現代的に言えば、

 

「人生はクリアすると危険」

 

なのかもしれません。

 

だから結局、人はどこかで、

 

次の遊び、

次の未完成、

次の誰か、

を必要とする。

 

終わらない“余白”が、生きる力になるんでしょうね、「余白こそ人生」、ですよ。