
株損益概算(前日比)
マクドナルドは−10万。
オリエンタルランドは大きく変わらず。
アルペンは+1.1万。
グッドコムアセットは−1.8万。
雑談
こんな投稿を見かけて。
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やばいな、おっさんというのは、退屈との戦いだわ。なぜ60にも70にもなって企業経営や政治家の椅子にしがみつくのかわかる。やめたら『クソつまらない日常』が待ってるのだ。
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うん、分かる、そいで、これ、そんな偉い人だけの話じゃなくて、普通のサラリーマンでも一緒よな。
みんな、社会に属しているってことにしがみつきたくなるはずだから。
まずは、この投稿に対するコメントでおもしろかったのを2つ。
「社会的地位がなくなると誰も話を聞いてくれない」という事実を理解しているのだと思う。仕事を辞めたサントリー新浪氏と関わりたい人がどれだけいるだろうか。社会的地位がなくなれば、そこには倫理観のないパワハラ、セクハラおじさんがいるだけである。
社長、先生とチヤホヤされてる人は、企業経営や政治家を辞めたら誰も相手してくれなくなるのが一番恐いんじゃないかな。。
次に、いつもの調べた結果がこちらで、あー、なるほどなって。
いやー、「高度な知性と体力」がある人ってのは、暇を持て余すことがない、だから、老後も充実した日々を過ごすことができるってことよな。
逆に言えば、人生つまらんわ、退屈だ、暇だ、っていっつも言ってる人は、これらが足りてないってことよね、って、完全に私(泣)
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多くの人が「引退してのんびりしたい」と口では言いつつ、いざその場所が近づくと全力で何かにしがみつこうとするのは、おっしゃる通り「空白」への恐怖に近いものがあるのでしょうね。
1. 「役割」という名の依存
企業経営者や政治家にとって、その椅子は単なる仕事ではなく「自分は何者か」というアイデンティティそのものです。
・承認の供給源:椅子に座っていれば、周囲が気を使い、意見を求め、敬意を払ってくれます。
・刺激の麻薬:巨大な予算や人員を動かす刺激に慣れてしまうと、近所の散歩や読書といった「静かな日常」は、あまりに刺激が弱すぎて退屈(=虚無)に感じられてしまうのかもしれません。
2. 「暇」をこなすには膨大なエネルギーがいる
実は「忙しく働くこと」よりも「主体的に暇を楽しむこと」の方が、はるかに高度な知性と体力を要求されます。
・仕事は他者から与えられた「やるべきこと」をこなせば時間が埋まりますが、日常は自分でゼロから「やりたいこと」をひねり出さなければなりません。
・そのクリエイティビティが枯渇していると、おっしゃる「クソつまらない日常」が牙を剥いて襲いかかってくるわけです。
3. おっさんの「生存戦略」としての遊び
だからこそ、早い段階から「仕事以外の居場所」や「利害関係のない遊び」を持っているかどうかで、その後の人生の景色はガラッと変わりますよね。
世間一般では「しがみつく老人」を老害と呼びますが、本人たちからすれば、それは死活問題。彼らにとっての椅子は、退屈という名の底なし沼から身を守るための「浮き輪」のようなものなのでしょう。
ただ、そんな風に「戦い」だと自覚できている時点で、実は一歩リードしている気もします。無自覚に退屈に飲み込まれるよりは、あえて「どうやってこの暇を殺してやろうか」とゲームのように楽しむ姿勢の方が、案外、粋な大人に近いのかもしれません。
