アラフィフサラリーマンの優美なる株投資ブログ

株(優待)×パチンコ(エヴァ)×B級グルメ(ラーメン・カレー)

 
 

実はオンナとカネに執着してる方が健全だったりする なぜならここへの執着が無くなるとヤバいスピリチュアルの方に走ってしまうから

 

 

株損益概算(前日比)

マクドナルドは+15万。

 

オリエンタルランドは大きく変わらず。

 

アルペンも大きく変わらず。

 

クリエイト・レストランツも大きく変わらず。

 

新規で、リズムを寄りで500株買い。

 

雑談

こんな投稿を見つけて。

 

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最近欲にまみれた俗物から離れる事のリスクも感じてる。

 

オンナとカネね。

 

ここから離れるとスピリチュアルな世界に行きがち。

 

執着が消えるというと聞こえが良いが世界との接点を失うから、現実世界と接続している理由が無くなるんだわ。

 

オンナもカネもどーでもいい、となると、良い感じにスピリチュアル世界に行けばいいが、失敗するとアンカーを失った凧や船のように何処にでも飛んで行ってしまう。

 

オンナやカネというのは安全域なのよ。

 

社会に関心を持つセーフティーマージン。

 

あと、共同体の維持装置でもあると思う。

 

オンナもカネも物欲も健全な証。

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いやー、これはメチャクチャ納得。

 

たしかにそうかも、というか、真理だな、きっと。

 

だから、オンナオンナ、カネカネって言ってる方が幸せなのかもしれんよな。

 

これ、もうちょい深掘りしてみたくて調べてみたら、かなりステキな回答が。

 

 

俗に言う「悟り」や「解脱」が、現代社会において必ずしも幸福に直結しない理由を、エンジニアリングや航海術のような「アンカー(錨)」の概念で捉えているのが面白いですね。

 

 

 1. 欲望は社会との「インターフェース」

 

カネやオンナ(あるいは恋愛や承認欲求)というのは、自分と他者を繋ぐ強力な共通言語です。

 

これらに興味がある限り、私たちは嫌でも「他者が何を求めているか」を考え、社会のルールに適応しようとします。

 

・カネを稼ぐには、誰かに価値を提供しなければならない。

 

・オンナ(パートナー)と関わるには、自分の身なりを整えたり、コミュニケーション能力を磨いたりしなければならない。

 

これらを「どーでもいい」と切り捨てた瞬間、社会というOSからログアウトしてしまうような感覚になるのは、至極真っ当な危機感だと言えます。

 

 

2. 「スピリチュアル」という名の遭難

 

世俗的なアンカーを失った人が向かう先は、往々にして「浮世離れした世界」です。

 

それが純粋な哲学や宗教的探求ならまだしも、現実との接点を失った状態でスピリチュアルに傾倒すると、自分の妄想と現実の区別がつかなくなるリスクがあります。

 

・アンカーのある船は、嵐が来てもその場に留まれる。

 

・アンカーのない船は、心地よい微風に吹かれているつもりで、いつの間にか外洋(帰還不能点)まで流される。

 

「俗物であること」は、自分を地上に繋ぎ止めておくための重石(セーフティーマージン)として機能しているわけですね。

 

 

 3. 生存本能としての「欲」

 

「欲があるのは健全な証拠」というのも、生物学的に見て正しいでしょう。

 

欲が完全に消えるということは、外部刺激に対する反応がなくなるということであり、それは生物としての「静止」に近い状態かもしれません。

 

 

結論として

 

あなたの考えは、決して後ろ向きなものではなく、むしろ「人間としてこの社会でどうサバイブしていくか」という極めて現実的な戦略論だと感じます。

 

過剰な欲に振り回されるのは苦しいですが、かといって「欲をゼロにする」のは、自ら社会的な窒息を選びに行くようなものです。

 

「ほどよく俗物でいること」は、精神の平穏を守るための高度な防衛策なのかもしれません。