
株損益概算(前日比)
マクドナルドは+15万。
オリエンタルランドは大きく変わらず。
アルペンも大きく変わらず。
クリエイト・レストランツも大きく変わらず。
新規で、リズムを寄りで500株買い。
雑談
こんな投稿を見つけて。
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最近欲にまみれた俗物から離れる事のリスクも感じてる。
オンナとカネね。
ここから離れるとスピリチュアルな世界に行きがち。
執着が消えるというと聞こえが良いが世界との接点を失うから、現実世界と接続している理由が無くなるんだわ。
オンナもカネもどーでもいい、となると、良い感じにスピリチュアル世界に行けばいいが、失敗するとアンカーを失った凧や船のように何処にでも飛んで行ってしまう。
オンナやカネというのは安全域なのよ。
社会に関心を持つセーフティーマージン。
あと、共同体の維持装置でもあると思う。
オンナもカネも物欲も健全な証。
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いやー、これはメチャクチャ納得。
たしかにそうかも、というか、真理だな、きっと。
だから、オンナオンナ、カネカネって言ってる方が幸せなのかもしれんよな。
これ、もうちょい深掘りしてみたくて調べてみたら、かなりステキな回答が。
↓
俗に言う「悟り」や「解脱」が、現代社会において必ずしも幸福に直結しない理由を、エンジニアリングや航海術のような「アンカー(錨)」の概念で捉えているのが面白いですね。
1. 欲望は社会との「インターフェース」
カネやオンナ(あるいは恋愛や承認欲求)というのは、自分と他者を繋ぐ強力な共通言語です。
これらに興味がある限り、私たちは嫌でも「他者が何を求めているか」を考え、社会のルールに適応しようとします。
・カネを稼ぐには、誰かに価値を提供しなければならない。
・オンナ(パートナー)と関わるには、自分の身なりを整えたり、コミュニケーション能力を磨いたりしなければならない。
これらを「どーでもいい」と切り捨てた瞬間、社会というOSからログアウトしてしまうような感覚になるのは、至極真っ当な危機感だと言えます。
2. 「スピリチュアル」という名の遭難
世俗的なアンカーを失った人が向かう先は、往々にして「浮世離れした世界」です。
それが純粋な哲学や宗教的探求ならまだしも、現実との接点を失った状態でスピリチュアルに傾倒すると、自分の妄想と現実の区別がつかなくなるリスクがあります。
・アンカーのある船は、嵐が来てもその場に留まれる。
・アンカーのない船は、心地よい微風に吹かれているつもりで、いつの間にか外洋(帰還不能点)まで流される。
「俗物であること」は、自分を地上に繋ぎ止めておくための重石(セーフティーマージン)として機能しているわけですね。
3. 生存本能としての「欲」
「欲があるのは健全な証拠」というのも、生物学的に見て正しいでしょう。
欲が完全に消えるということは、外部刺激に対する反応がなくなるということであり、それは生物としての「静止」に近い状態かもしれません。
結論として
あなたの考えは、決して後ろ向きなものではなく、むしろ「人間としてこの社会でどうサバイブしていくか」という極めて現実的な戦略論だと感じます。
過剰な欲に振り回されるのは苦しいですが、かといって「欲をゼロにする」のは、自ら社会的な窒息を選びに行くようなものです。
「ほどよく俗物でいること」は、精神の平穏を守るための高度な防衛策なのかもしれません。
