株損益概算(前日比)
マクドナルドは変わらず。
ヤマウラは大きく変わらず。
株式相場
大型連休前にもかかわらず強すぎだけど、ある一部だけって感じ。
雑談
先日、とある芸能人の昔のインタビュー記事をたまたま目にして。
その芸能人は、簡単に言うと、女遊びが原因で離婚することになり、さらに映画コメンテーターとしての仕事も激減してしまったという当時45歳の方なんだけど・・。
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自分が起こしたこととはいえ、ネットを見たら不名誉なことで自分の名前が載っている。
コメントも辛辣なものが並んでいる。
僕にとって今までの人生では経験しえないことでした。
昼も夜も耳元で誰かに何かを言われている感覚にもなりました。
もちろん、子どものためにも自分自身がしっかりしなくては、家族を守らなくては、そんな気持ちで立っていました。
後悔と反省の日々の中ですが、自分の心を叩き続けて、ずっとへこんでたら、行きつくところ倒れて、死ぬことすら考えてしまいます。
もちろん、ここでくたばるわけにはいきません。
それならば、もう一度やるしかない。
そう決めた以上、人に何を言われようが前に進もう!
その覚悟はできました。
子どもと一緒に過ごす時間が増えた中で、今までより「子どものために生きる」。
ただただ、そのことだけを純粋に思うようになりました。
また、映画『トゥルーノース』をきっかけに思ったのが「幸福と快楽は違う」ということでした。
幸福と快楽は違うということに気づいた。
毎日の時間の中、毎日1ミリずつ積み重なっていくような感じで、その時間の実感は薄いかもしれないけど、5年経ち、10年経った時に、ある日ふと「あ、すごく幸せなんだ」と思うのが幸福なんだろうなと。
今までの僕はドーピングのような悪魔的な快楽に浸っていたんだと思います。
女性と遊びたい、遊んだら楽しいという感覚があって、それをやることでもっと感覚が麻痺して、また安易に刺激を求める。
そんな状況になっていたんだと思います。
快楽は直接的に感じるものなのかと思いますが、積み重ねによって、ある日とても大きな喜びを感じる。
それこそが幸福なんだと45歳になって初めて気づいた。
遅いのか。バカなのか。両方なのかもしれませんけど。
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いや。
いやいや。
それは、そんな状況になってしまったから、そう思うわけであって。
もちろん100%否定するわけではないし、倫理的にはその方が絶対に正しいとは思うんだけども、個人的には違うかな〜って。
だって、もしもだよ。
そのドーピングのような悪魔的な快楽を誰にもバレずに秘かにずっと楽しむことができていたとしたら。
その毎日の積み重ねっていう、家族で仲良く平和に過ごすという幸福と同時に。
これが男にとって、最高の人生なのではって。
というか、そもそもバレるまでは、そんな日々を存分に謳歌していたわけで。
そんな日々がずっと続けばいいのにってきっと思っていたはずで。
華やかな仕事をしながら、みんなにチヤホヤされて、たくさんのお金があって、綺麗な奥さんがいて、子供にも恵まれて、さらに秘密の彼女までいてと、順風満帆この上ない生活だったわけで。
だからこそ、バレさえしなければ・・・。
ということで、この方の言葉をそのまま拝借するなら。
男にとっての最高の人生とは、家族で仲良く平和に過ごすという毎日の積み重ねの幸福と同時に、ドーピングのような悪魔的快楽を味わうことなのでは。