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75歳女性と86歳男性による超熟年恋愛小説 「最後のひと」

 

 

株損益概算(前日比)

ベステラは大きく変わらず。

 

ウエルシアは変わらず。

 

株式相場

週末だし、こんなもんでしょ。 

  

雑談

昨年末、新聞の広告欄にこんなのがあって。

 

75歳になって、86歳のひとを好きになって、何が悪いの?

 

「疼くひと」で70代女性の性愛を描いた著者によるリアルな「大人の恋」

 

題名は。

 

「最後のひと」

 

メチャクチャひかれた。

 

なんでかって、それは、著者の松井久子さんが前回書いたその「疼くひと」は、私の一昨年のベスト恋愛小説だから。

 

早速買って少しずつゆっくり読んでいたのだが、先日読み終わってしまった、残念。

 

なかなかおもしろかった。

 

あらすじはというと。

 

離婚歴がある75歳女性「燿子」が、妻に先立たれた86歳の元哲学教授「仙崎」と知り合い、恋に落ち・・。

 

って、人によっては、そんな婆さんと爺さんの恋の話なんて興味ないわー!って言うかもしれない。

 

いやいや、自分だって70歳・80歳のヨボヨボの爺さんになるんだから。

 

もしかしたら、その頃には独りになってるかもしれないんだから。

 

そんな歳になっても、間違いなく女性が好きなんだから。

 

グッときた文章を抜粋。

 

元日の朝に、電車を二度も乗り換え、2時間近くをかけて自分に会いに来てくれた86歳の哲学者。

 

近づいてくるその男の姿を眺めながら、陽子は、なぜかこの場面が、すでに何年も前から定められていたシーンのように感じていた。

 

やっと。

 

やっと、私にぴったりな人に、会えたような気がする…。

 

 

 

改札口で向き合って別れの挨拶をしていると、仙崎の背後で電車の近づく音が聞こえた。

 

その時、仙崎を抱きしめたい衝動にかられ、また彼も同じ気持ちであることを直感して無言で見つめあった。

 

しかし、そこは80代と70代の老人二人である。

 

人の目がある駅の真ん中で抱き合うほどの大胆さなど、もちろんあるわけがなかった。

 

握手とも、手を握り合うともつかぬ、一瞬、指と指を絡ませ合っただけで、互いの手を放すと、彼は改札口に飛び込んでいった。

 

燿子は、その背を見送りながら思っていた。

 

あのひとに触れたい…と。

 

 

 

燿子は、リビングの床に掃除機をかけながら、昨夜の仙崎のメールを思い出しては、すっかり少女の頃に戻っている自分に気づいて、おもはゆい笑みがこぼれた。

 

しかしいま、それを心から喜ぶことができない。

 

いい歳をして…。

 

人はどうしてこうも、「年齢」という概念に縛られて生きているのだろう。

 

自分も、75という歳を忘れられたら、もっと自由になれるのに。

 

17歳のときめきを取り戻している自分を、もっと祝福してやれるのに。

 

 

 

じきに90を数えるほど老齢のその男は、もう、性的に男性の機能を発揮できる歳ではなくなっているだろう。

 

それでもいいから、彼に触れたい。

 

手を握り合い、抱き合いたいと、ときめいていた。

 

燿子のこれまでの人生で一度も持ったことのない、まさに革命的な感情だった。

 

 

 

自分の周囲を見渡しても、肉体のコミュニケーションを全く取らなくなったという夫婦が圧倒的に多い。

 

年をとったら、そんなことをするのは「気味が悪い」とか、「いつまでそんなことを考えているんだ?」と思われてしまうのが、社会の常だ。

 

誰もが、社会の既成概念と無意味な倫理観のなかで、平板に生きている。

 

燿子は、仙崎と会ってから、触れ合う、抱き合う、愛撫し合うといった行為で、どれだけ柔らかく、安らいだ気持ちになれるかを知ったので、そんな世間の常識や偏見に遭うたび、それほどもったいないことはないと思うのだ。

 

 

 

「あぁ、あなたともっと早く会えればよかったのに。せめて50代の頃に会いたかった」

 

そんな燿子の言葉を聞くたび、

 

「それは違うな。この歳になって会ったからいいんだよ」

 

と、仙崎は同じ言葉をくり返す。

 

もし、若い頃に出会い、若い肉体同士でセックスをしていたら、その恋は短いもので終わっていただろう。

 

もし若い頃に結婚をしていたら、いまごろは互いの存在を空気のようにしか感じられず、触れ合いたいと思うこともなかっただろう。

 

老いて出会ったからこそのセックスは、もう「それがなくては生きていけない」と本気で思うほど、かけがえのものになっている。